相手にお願いすることが必要になるということ
先日病院でお弁当を食べていたときのこと。病院のコンビニの横に飲食できるテーブルがあります。車椅子の女性にコンビニに買い物に行っている間、荷物を見ていてと頼まれました。
お弁当を食べていた私は気軽に応じました。次に予定があった私はそそくさとお弁当を食べ終わるとしばらく女性を待っていましたが帰ってきません。何か本でも持っていれば良かったのですが所在無く待っていました。近くに座っている女性に「しばらく時間が立っていますね」と話すと「様子を見ていなかったのでわからないわ」というお返事。
ちょっとした買い物も車椅子だと時間がかかってしまう。
「ちょっと探してきますので女性の荷物を見て置いてください」とお願いしてコンビニ店内に行きました。するとヨーグルトと何かとコーヒーを買って出てくるところでした。車椅子の操作しながらでもコーヒーがこぼれないように工夫をして店員さんが手渡しをしていました。
周囲への気配りも意識されてました。
そしてなんと「遅くなってごめんなさい。これ美味しくて大好きだから」と写真のヨーグルトを自分の分と私の分とをかってくれていたのです。初対面だし、大したことをしているわけでもないのに普段からこうした遠慮とか気遣いをされてきているのだと感じました。
気遣いを無にするのも失礼なのでありがたくいただきましたがなんだか悪いなと思いました。
母なりの身の処し方
書いていて母のことを思い出しました。
晩年施設に入っていた母が「お世話をしてくれている職員さんに遠慮しているくらいがちょうどいい。」なんて話していたことを思い出します。もし自分が歳をとって体の自由が聞かなくなったときどのように振る舞えばいいのか示してくれているように思います。あれもできないこれも不自由となくして行くことが多くなってきたときどうするのか。自分のなくして行くものを嘆いて行くだけではいけないのだと学んだ気がします。
一期一会だけど学ばせていただきました。
時間にしてほんのわずかでしたがその方のこと忘れないだろうと思います。気をつけて帰ってくださいねと思いながら次の予定のところに行きました。