信田さよ子さんは「母が重くてたまらない」という本を書店で見つけて知っていました。のぶたさんとお読みするのですね。
父でなくて母との呪縛をこうして繰り返し取り上げられているのはなぜなのか?コロナ禍での地元図書館で貸し出しから返却された本を立ててある棚からこの本を見つけ手に取って帰宅しました。
信田さよ子さんは1946年生まれの74歳か75歳くらいで臨床心理士、原宿カウンセリングセンター所長をされていると書かれていて、DVや虐待、家族問題に著書がたくさんある方のようです。
墓守娘というのは、両親を看取ってお墓を守っていくという役割を期待されているということを一つの象徴に娘の人生にいつも自分がいたいという気持ちがあると感じます。
信田さんはこの本で一つの事例を作っていてそれを追って読むのですが、墓守娘が決断するときというのは、母親に対して決別宣言をするということで一人娘である主人公はとても大きな罪悪感を伴った苦しみを感じ、また母親は娘の離反に狼狽しながら、カウンセリングを受けたり娘に手紙を送ったりと苦闘します。この母は夫との苦しい結婚生活を娘の自己実現のサポートをすることに情熱のすべてを傾けていくのです。この本では、高校に入学して、思春期になっておしゃれに興味を持った娘を嫌悪するところからこれまで一枚岩できた母子の間、娘の気持ちに変化が起こり信田さんいわく娘の中で「母親に対するポジがネガに一気に変わった」とあり、読んでいてドキドキします。
先日、平井信義さんの著書「心の基地はお母さん」を読んで恋愛というのは心の自我の発達というのを知って自分の中でパラダイム変換が起こりました。恋愛というのは異性や同性にあこがれ一緒にいたいという気持ちだけではなく、本人の自我の発達のことなのだと知って尊重すべきものなのだと認識を変えました。
母にしてみたら自分の苦しい結婚生活の支えにしている娘はいつまでも自分の娘のままであってほしいと、娘の生活圏内に居座ろうとしてしまうところから問題は起こっているのだと感じました。
信田さんは父親であり夫である男性についてのメッセージはあまり書かれていませんが問題の根本は夫婦関係なのだと感じました。同じ母親として夫婦間の問題で娘に期待することで自分を納得させるようなことはしてはならないことなのだと感じました。