母のことを振り返ってみる
今朝何気なく開いたメール本田健さんのオンラインメンタープログラムで母親からどんな影響を受けたか整理して見ましょうとありました。気になって整理して見ようと思いました。
本田健さんのメール引用
おはようございます。
今朝の気分はいかがですか?あなたは、母親の生き方・あり方から
どのような影響を受けたでしょうか?母親と同じような部分もあれば、母親
とは相反する部分もあるでしょう。母
親からの影響について、整理してみま
しょう
誕生から高校卒業まで一緒
母からの影響というのは膨大で自分自身も気がつかないほど染み込んでいるような気もします。その反面18年間と9ヶ月一緒に過ごした後は別々で暮らして違う経験をしていたのでまったく違う考えかたになっているとも思います。
母といえば皆さんどんなふうに思いがめぐるんでしょう?
こうして書きながら一言で言い表せないです。
思い出は
母はにっこり笑って私の名前を呼んでくれていることが一番に思い出されます。
手作りで作ってくれたビワのコンポートや花の可愛い手作りのチャームのついたジャンパースカートなんかも思い出。
ユーミンの「ベルベットイースター」の曲にあるように母のブーツも履いてよく出かけました。
思春期には
小学校の4年生くらいになると友達との関係について干渉してくるのがいやでした。でも母が不機嫌になるのが嫌で母に合わせていたりしたなあと思い出します。
苦しくて日記に書いて気持ちを整理していました。
母も同じ人間だった
生き方、考え方は色々こころの中で批判したりしたけれど最近では母も私と31歳しか違わない子育てで戸惑う一人の女性だったんだなと思うのです。まるでスーパーマンのように思って完璧を求めてたと思います。
養子を取った母は姑さんの苦労はないけれど父と祖母(母にとっては実母)の板挟みが大変でした。
いつの間にか尊重してくれていた
ガラリと世界を変えたいと高校卒業とともに家を出ること許してくれたし、結婚して6年間子どもを作らない選択をしていることにも一言も言わなかったことありがたいなと思います。
あんなに思春期の頃には細かく色々言ってきたのにと思います。毎日洋裁をしながらラジオを聴いていました。井上陽水や布施明のシクラメンのかほりとかが好きでした。(母は2010年他界)七夕の笹には「素敵な音楽が聴きたい」と書いていました。
自分のことは後回しだった母
昭和一桁生まれだった母は子どものためには自分は後回しということをよく言っていましたが、晩年もそう思っていたのでしょうか?
娘の私はそんな風に言っている母は苦しくはなかったのかなと思います。時々そう感じることがありました。懐かしく思い出すのは母の笑顔で私の名前を呼んでいてくれる姿なので笑顔でいてくれることが一番なのかなと思います。
影響を受けているところと相反するところ
話をよく聴いてくれて喜んでくれた姿を真似しています。相反するところは感情的に振る舞わないことにしていることかなと思います。
母の話はつきませんね。